困った山田

マジやばくね

働きたくない

いかに働かずに生活を充実させるか

楽して暮らすのが人の本能である、がしかしどうも今の社会ではそれが悪者扱いされている。これは勘違いから生じている、例えばニートなどがそれだ、もっとも安易なのは親に養ってもらうことだ。ところがおそらくここで2種類のニートにわかれるだろう、というのもニートで一生を暮らせるのはごく一部の人だろう他のひとは遅からず将来を考えるだろう。そこで、頭を使いなんとか自力の生活をする者と、そんなことは知らんとなにも考えなくなる者にわかれる。

前者は悪者だろうか?例えとしてニートをだしたがこれはほとんど誰しもが通る道だろう。前者を責めることが出来るだろうか?むしろ学習と教育が遅れたことを親は反省すべきだろう。だが、誰しもが同じわけはない、個人差というのは避けられないものであるのでそこも親などが理解する必要がある。

後者はどうか?これは自分の未来をみていないかもしくは未来などはどうだっていいのだろう。しかし生物として生きることを望まないのは不幸であろう。生きていれば幸福が得られるとは言わないが人類は極力不幸を減らす努力をしてきたので少なくとも日本では命に関わる不幸はほとんどない。これは相対的にだが幸福と言えるのではないか。仮に死を望むならばその後幸福になれるかは現在ではわからないこれが結論である。これが人が幸福を求めた結果だ。ゆえにそれを利用するのは現代人の特権と言えるだろう。この特権を使うには生きるしかない。その術を教育で教えるべきだろう。そう、後者は知らないだけだ。それを考えると無知と言うのはあまり良いことではないようだ。

では無知でなくなるにはどうすればいいのか、これは簡単だろう。学習である。人は幸福のために学習してきたのだ。そしてその続きを子供に託してきた。そしてその多くが苦しみという不幸から逃れるためのものだ。それは始めにいった楽に暮らすことでもある。空腹よりも満腹になりたい、寒いときは暖まりたい、死ぬよりも生きたい。このようなことを人は繋ぎ続け数を増やした。こんなことができたのは知能を高めていったからだろう。よって知能を高め楽で充実した生活を送ることは悪いことは1つもない。むしろ良いことであろう。

あー働きたくないな